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ウェルスガーディアン株式会社 芦澤 大地社長インタビュー(前編)

ウェルスガーディアン株式会社 芦澤 大地社長インタビュー(前編)

2022.01.13

 イグジットされた経営者の方々には、一夜にして多額の資金が手元に入る。しかし、資産管理・資産運用に関する経験は少ない方が多く、実はイグジット後の資産の管理や運用に関する相談は多い。そこで、当社は、富裕層向けの永続的な繁栄を目的とした資産管理サービスを提供しているウェルスガーディアン株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役:芦澤 大地)と業務提携を行い、事業承継・M&A実行後の経営者やオーナーに相続、財産保全、資産管理等の支援を行うサービスの強化を行なっている。

業務提携に至る背景

土橋 先ずは、なぜ当社がウェルスガーディアンさんと業務提携したのか?ということを話す前に、その前段として、業務背景の部分から掘り下げていきたいと思います。 当社のお客様はコンサルタントに対して、何でM&Aのコンサルティング業に携わっているのか、また、なぜうちの会社を担当しているのか?をお尋ねになる方が多いです。当社の場合だと、元キーエンス社だから製造業を担当、元ジョンソン・エンド・ジョンソン社だからヘルスケアを担当しています。と、事業理解を高める事が大事なのでつながりがあるんです。
前置きが長くなってしまいましたが、まずは幼少期、芦澤さんはどんなお子さんかだったのか。学生時は何を思っていたのかというところなどをお話ししていただけたらと思います。

芹澤 生まれたのは墨田区の今スカイツリーがあるあたりです。業平橋のすぐそばのいわゆる団地。家族は両親と男2人兄弟で、僕が長男です。この業界を目指したのは叔父の影響ですね。父は四人兄弟で、叔父のひとりが当時、証券会社に勤めていて、アメリカに住んでいました。その叔父の家に小学生の頃に行ったことがありますが、おばあちゃんと二人で飛行機に乗って。
夏休みの二か月ぐらいを叔父の家で過ごした時に、家が本当に大きくて、子供の私にも叔父がビジネスで成功しているのが理解できました。もちろん、父を人として尊敬するし、父のような人になりたいですけど、やっぱり叔父のようにビジネスで成功したいと思いました。その時の影響が大きくて、証券会社に就職しました。

土橋 アメリカへ行かれたのは何歳くらいの時でしたか?

芹澤 小学校5年生です。1990年くらいですね。

土橋 日本のバブルが弾けた後、アメリカ経済が活発な時期でしょうか。

芹澤 本当にそうでしたね。何もかもすごかったです。大きな家に家政婦さんがいたり、日本にいてもしょうがないなと思うきっかけになりました。

土橋 中学・高校時代も何か特徴的な生活をされてましたか?

芹澤 うちの両親は様々な事情で大学に行けなかったので、大学には行って欲しいと言われていました。それで、幼少期から大学だけはどこでもいいから行こうとは思っていたのですが、途中で叔父の影響を受けて、六大学くらいは行かないと希望する証券会社には入れないよと言われたので、まぁ、漠然とそういうイメージで勉強していました。
当時は理系だったのですが、商学部にすすみました。理系を卒業して証券会社に入るのはバックオフィスというか、エンジニアが多いと叔父に聞いていたので、叔父のように営業をするには、そっちじゃないなと。大学入る前から証券の道へ行こうと思っていました。

土橋 幼い時から将来の仕事のイメージができていたという感じですね。その頃から株はやられていたのでしょうか?

芹澤 いえ、株は全然やっていないです。証券会社に入って、営業を経験し、ある程度、結果を出したので、希望として、とにかく東京でPBやりたいという話をしていたのですが、なぜだか茅場町本社の債券のトレーダーになりました。

土橋 証券会社勤務の一年目は、普通に営業担当ですよね?

芹澤 はい、リテールです。もう口座作ってもらってそのお客さんを回るみたいな。

土橋 いわゆる、回転させる系ですよね。

芹澤 最初の一年間、営業は知識がなくてもとにかく売るのです。飛び込みして、高額の納税者リストに上から順番に電話かけまくって。知識のない中で怖いもの知らずで。その頃に勉強した事は本当に身になりました。

土橋 その後に進まれた債権トレーダーでは、頻繁に売買をされていたのでしょうか?

芹澤 結構頻繁ですね。あと、入札があります。JGBといって、日本国債ですが、大きな金額の入札が毎月ありますし、地方債と言われているものも入札があって、金額がそれこそ何千億とか、何百億とかの入札で、その時のフィーが1糸(シ)とか5糸(シ)というと、0.01とか、0.05の手数料率。なので、1億決めて1万円。

土橋 債権売買の収益額はそのぐらいか。その分、規模が大きい金額を取引しないといけないですね。

芹澤 そんな世界を経験した後は外国債、いわゆるトレジャリーボンドと言われているアメリカ国債などを扱っていました。
僕が営業をしていたのは、ITバブルの後だったので、とにかく株が下がっていまして、日経平均が八千円とか、一万円割れるとか。証券会社のイメージもすごく悪かったです。
就活中もなぜ証券会社なんかに行くのかと、しょっちゅう言われました。当時、人気があったのが商社で、証券に入ってくる人間は一発当ててやろうみたいな体育会系の人が多かったです。

土橋 なるほど、周りはそういう人が多かったんですね。

芹澤 後から叔父さんなど諸先輩方から聞いたのは、悪い時にはみんなが行かないニッチなところに行く方がいいよ、と。この会社を立ち上げる時もみんなが行くようなところではなく、ニッチなところで勝負した方が勝てると思っていました。起業した2015年頃には、今、様々なIFAがやっている、すごい数の口座を集める業態はありましたが、うちのように富裕層に特化しているところもほとんどありませんでした。

土橋 起業時から強みを持っていたということですね。証券会社に入ってから何社か転職もされていますよね。そこにはどういう経緯があったのでしょうか?

芹澤 営業を一年経験した後にボンドの世界に行き、そこに4年半くらいいたのですが、ずっとPBに行きたいという希望を持っていました。私は債券部に10何年ぶりに入った若手で、一番近い先輩が一回り年が離れていて、平均年齢が40半ばくらい。50歳を超えてる人もたくさんいらっしゃいました。毎日の弁当の手配など一番下っ端としての雑務が本当に大変でした。

土橋 そこから転職されたのは、仕事を変えたかったのか、それとも人間関係?

芹澤 営業をやりたかったんです。営業で結果を出していたので、希望を聞いてもらって本社に行かせてはもらいましたが、「PBをやりたい」とずっと言ってたのに行かせてもらえなくて。役員面談の時に「PBに行かせてください」といっても「いや、お前の育成にどれだけお金かけてると思ってるんだ、我慢しろ」と四年連続ダメと言われ、最後に「じゃあPBできるとこに行きます」と答えたら「じゃあボーナスを渡すから我慢しろ」と。新人ですよ。新人の中で異例で臨時ボーナスをもらいました。それで、ここにいてはダメだなと思いました。
その後進むシティバンクは、ライバル企業だったので、営業先でたまにバッティングするんです。シティバンクがすごかったところがレートが一緒でもなぜかシティバンクが勝つ。後でわかりましたが、お金貸すのでこれやってください、と提案するのが向こうの強みだったようです。

土橋 なるほど。資金も合わせて提供しまうわけですね。

芹澤 そうです。これ、その後、行政処分になったのでいけないことをやっていたわけですが、そのシティの営業員に声をかけられて、色々話していくうちに、君はシティに来てPBやった方がいいよ、と誘われて、その人のつてで話を聞きに行ったら来月から来なよみたいな話になりました。シティバンクは、証券会社のPBと同じ商品はもちろん、プラスアルファ、絵画とかいろんなことを提案できるんです。

土橋 すごいですね。絵画とも取り扱うのですね。

芹澤 そうですね。当時はやっていました。でも私がシティに入ったらPB撤退。PBに入ったのに。

土橋 え!? 入って何年目くらいの出来事ですか?

芹澤 入って3カ月くらいです。研修中。それで、行く先が無くなってしまったのですが、それでも、富裕層のお客様はそのまま預かるので、富裕層向けの担当者RMであれば、仕事があると言われ、そこに8年くらい在籍しました。
シティバンクのお客様というのはやっぱりすごくて、海外を経験された、グローバルなお客様が多いんです。普段会えない方も身近にいたり、これは銀行のシティバンクというブランドの強みだなと思いました。お客様にたくさん学ばせていただきました。

土橋 その後はPBに進まれましたね。そのキッカケは何だったのですか?

芹澤 私がシティバンクでキャリアを積んでいるときに、叔父もモルガン・スタンレーに移って、その後ドイチェに行くんですけど、契約がすごくて。すごい世界だな、これはそっちに行くしかないと思いました。
当時もPBとしてトップがクレディスイスとUBSだったので、レベルアップしてどちらかに行こうと思い、クレディスイスに行きました。UBSは、PBのヘッドが叔父の知り合いの方で、近い関係で仕事するは嫌だなと思ってクレディスイスを選びました。

土橋 クレディスイスにはどのくらいいらしたんですか?

芹澤 2年弱くらいです。私がクレディスイスに行く前に、叔父はドイチェを辞めてヘッジファンドの会社を立ち上げるんですが、従業員も雇って、PBよりもっとすごかったです。いずれはそこにいきたいと考えていましたが、いきなり飛び越えて行くのは無理だと思ったので、PBは経験しておこうと。
クレディスイスで働きながら学ぶことはたくさんあったのですが、ここではもう学ぶことはないなと思い、独立したのが2015年です。

土橋 やっとPBに行けたのに色々と気付いてしまったんですね。さらに稼ぐには起業しかないなと。実際、起業された時は大変でしたか?

芹澤 一年目、二年目はとにかく大変でしたね。とくに認可。すでに起業していた叔父には認可には2年半かかると言われていましたが、仲介業は2、3カ月かなと思っていたのですが、6月に設立して、認可が下りたのは1月でした。

土橋 認可が下りるまでの期間は、売上入らないですからね。

芹澤 12月くらいに財務局に「いつ認可がおりますか?」と三回くらい言いに行きました。でも、役所は年末に動かないんです。こちらは事務所などのコストが全部かかるし、今子供が4人いますが、当時3人だったかな、生活費もかかりながら給料が6ヶ月間ない。その上、住民税がクレディスイスの時の。家族の仲も本当にギクシャクしていました。
とはいえ、免許がないと仕事ができないので、やれることが限られていて。繋がっているお客様には連絡していたので、認可が下りてからは、早い段階での収益は見込めていたのですが、稼ぎすぎてはいけない。経営的には苦しかったですが、良いお客様だからこそ、そういうことしちゃダメっていう葛藤の中、翌年もやっていって一年目と二年目は本当に大変でした。

土橋 キャッシュフローが健全化できてない時は、ボディーブローのように手持ちのお金が無くなるので、本当に尋常じゃないですよね。

芹澤 尋常じゃないです。

土橋 僕らもそうでしたよ。一年目大変だったよね。

松栄 どんどん口座からお金が無くなっていきました。

土橋 M&A仲介というビジネスは、売却かかる期間が長いので売上も時間が必要です。

芹澤 だから、認可よりもキャッシュが大変ですよね。

土橋 従業員に給料を払いながら役員報酬は未払い。少しずつ売上が上がってきたからちょっと貰っていいですか? みたいな感じでした。

松栄 本当にそうですよね。

土橋 だから、足りなくなった時は、自己資金入れて何とか耐えました。

芹澤 そうですね。自己資金入れてます。僕の給料もすごく低くしてやっていますし、1、2年目は、まぁ本当に大変でした。

土橋 では、3年目くらいからは少しずつ安定してきました?

芹澤 当時、役員2人とアシスタントの3人でずっと兜町のオフィスで仕事をしていまして、少し余裕ができたので、仲間が欲しいなと思ってシティバンクの知り合いに声をかけました。そこから2人が入ってくれて安定しましたね。

土橋 なるほど、そういう立ち上がりですね。なんか芦澤さんの起業の思いとその時に入ったメンバーは合致してたんですかね?

芹澤 そうだと思います。合致してるのはお客様に対する姿勢ですね。これ、結構大事だと思っていまして、お客様には本当のことを正直に言わないと伝わらないので、お客様だけには正直になろうっていうのを常に話しています。そして「顧客本位」という意識のある人しか従業員として雇わないというのを決めています。
理由はいくつかありまして、私が証券会社で働いているときに、当時のIFAの営業がすごく酷いことやっていたのです。今ネット記事とかに出ている、いわゆる回転売買。「もう今日はこれだけ上がったのでこれだけでいいですよ」と営業員の都合で売買を繰り返して自分はノーリスクで、収益だけは上げる。
そういう業者と一緒にされたくないので、手数料を回転売買とか乗り換えとかで短期的に稼ぐブローカーのような人は絶対取らないっていうのがうちのコンセプトです。なので、給料も出来高にはしていないです。出来高にすると人はどこかで変わってしまうことがあって、困った時とか会社の資金がショートするときなんかもそうですけど、お金に困ると人はどう変わるか分からないので、そういう環境を作りたくないということでみんな社員です。
給料も会社の利益が上がった時だけボーナスを出すという形をとっているので、出来高はではないです。
これはずっとこれからもそうしていこうと思っていますし、それでもこの会社に乗ってくれて、お客様とずっと長い間ファミリーオフィスとしてやりたいというか、お客様と一緒にやっていきたいというハートを持った人達が今のメンバーです。

土橋 競合他社の雇用体系と全然違いますよね。

芹澤 そのなぜこんなことやるのかというと、お客様のパフォーマンスに影響すると思っていて、報酬を取りすぎると必ずパフォーマンスが落ちる。私はお客様とはお子さん、お孫さんの代まで、ずっと付き合って行きたいので、うちの会社が継続的に経営できて、お客様をずっと守っていけるというビジネスをやりたい。すごくフィーが薄いと思われるかもしれないですけど、これを長い期間で見た時に、例えば10年、20年で見た時には決して薄くはないのです。
今の回転売買のやり方はマーケットが良い時にはすごく稼げるのですが、マーケットが悪くなると、一切稼げなくなります。例えば10年間、ずっとお客様の資産もうちの収益も増え続ける、どちらもハッピーな経営はこういうやり方だなと思います。

土橋 回転売買しているところは社員が辞めてすぐ違う会社に行っちゃいますよね。御社の場合は、実際、どのような営業をされているのでしょうか?

芹澤 昔から証券会社とお付き合いあるお客様は一カ月に一回ぐらい面談にいらして、来るたびに新商品を提案してと言われて、売買したりはするのですが、うちは一年間、売買をほとんどしないので、預けてポートフォリオを組んだらおしまいという場合が多いです。何かいいのないの、と聞かれますが、いやあったらすすめてるからと。

土橋 プランニングはしっかりされているから、変える必要がないんですね。

芹澤 そうです。例えば「これ一旦手放しましょう」となっても「じゃあ次何買うの?」というお尋ねには「いや、買わないですよ」と。売るので買う必要はないですとお答えします。

土橋 確かに。現金をポートフォリオの一部として持っておく必要がありますよね。

芹澤 あります。

土橋 でも、他の株屋さんは全部商品に変えてしまいますよね。マーケットが下がるのを見越して現金化しておくというのも一つの手ですもんね。

芹澤 例えば恒大集団など、中国の問題が今出始めていますが、今年一年、ちょっとマーケットがきな臭いなと思ったら一番いいのはキャッシュを持っておくこと。でも、全部キャッシュではなく、ポートフォリオの例えば3分の1くらいをキャッシュで持っておくことにより、他のポジションで持ってるものが値下がりした時に買いを入れられます。そのためにキャッシュポジションが必要ですが、実際、それをしてる所はほとんどないです。
ファンドについても、お客様に寄り添って、ポートフォリオ提案します、とか言いますが、ファンドは資金を預かって何かしらか収益を生まなくてはいけないですよね。なので、キャッシュにしておくのがマイナスになります。しかし、通常、投資の世界ではキャッシュはやはり持っておかなければいけないので、レバレッジを効かせてやるという手もありますけど、そういう考えになってはいけない中、投資信託やれないじゃないですか。
本来、プライベートバンカーや専門家はお客様への提案がなければならないし、それができるのが、やっぱり私の考えるファミリーオフィスだったのです。

土橋 良いですね。ホント凄いです。私も周りに突然お金を持っちゃった人がいたので、スイスやシンガポールのようなお金に強い国を絡めたりしていましたけど、当時は株屋さんみたいな人も多くイメージ悪かったです。色々と勉強していくとポートフォリオとして現金というのも金融資産の一つ、金融商品として考えていく必要がありますよね。良いときに売るのは当然、下がった時に割安で買える、良いときにまた現金にして準備する。ただ、このサイクルをうまくプランニングするというのがやっぱり難しい。
金融の先進国アメリカでは、個人向け証券業務を行っている4大証券会社で働いていた方達が、独立系のIFAとして起業する方たちも多くなっているようです。そのマーケットや体系などがパラダイムシフトしたアメリカを見た時、これから日本はどのように変わっていくと思いますか?

芹澤 日本の金融はすごく変わると思います。これもう10年前くらいからずっと言われていると思うのですが、ネットの普及によってスピードが変わります。いわゆるPBなどは経験者しか知らないし、情報がなかったです。しかし、今はネットで検索すればある程度の情報が得られます。 例えば、Youtubeで検索すれば、証券会社の裏事情紹介とかたくさん出てきますよね。噂でしか聞かなかったものが、誰もが見られるようになったので、お客様の金融リテラシーとか理解度が少しずつ上がってきています。
特に若い方はネットで調べてこの商品はどうだろう、資金を預けるときにこの会社どうだろうと考えるようになってきていて、今まで情報量に胡坐をかいていた旧三大証券が収益を上げにくくなっているのは、結構、本質をついてると思っています。
今なんて、ネットで売買手数料0ですよ。今後、アメリカのロビンフッドみたいな形がたくさん出てくると必ず価格破壊が起きます。その時に今までの業務、回転売買みたいなものが通じなくなって、淘汰されてくると思う。その後、どこに資金が集約してくるかなと考えた時に、良い日本の金融になってくると思います。昔の証券会社の人たちが働けなくなるような状況が望ましいと思っているのですが、そこのレベルに見合うような金融の人材が育っているかというと、育ってないですよね。おそらく研修がきちんとできていないと思います。

土橋 人材が育っていないんですね。

芹澤 そうです。なので、ある程度研修を受けて金融とはこうだよといえる人がアメリカくらいに増えていけば、アメリカに近づいていくのですが、絶対数が少ないので、この人たちのレベルを上げることによって、アメリカに近づける状況にしていかなくてはいけないと思います。
ただ、今、独立しているIFAの人たちがそのレベルにある人達なのかというと、そこも結構疑問ですね。

土橋 アメリカと教育が違うというのが根底にありますか?

芹澤 はい、証券会社が研修などで若手に金融知識の教育をしてこなかったので、今こういう状況になっていると思います。今後取る若手にはきっちりとした教育をして、この証券会社に行けばこれだけレベル高い人がいるという世の中になってくれば、今の証券会社も生き残っていけると思います。
逆に、教育をやっていかないと、恐らく営業員はみんな色んな知識を得て独立するだろうし、ネット証券で買うお客様の方がレベル高くなるような状況になってくるので、ここでなんとかレベルを上げて、レベルの高い人達が育ってくると、自ずとアメリカのようになっていくのかなと思います。

土橋 日本の証券会社の大半は系列会社があり、様々な金融商品をお持ちなので、どうしても意図をもって営業本位で商品を宣伝しまいますよね。一方、IFAは自由に設計ができて、お客様本位の商品を提案できる。まさに時代にマッチしていると思います。
当然、独立系IFAで働きたいという人も増えてくるので、そういった人たちが学校で金融を学ぶというような世の中になるといいですよね。

芹澤 大学でそういう授業があってもいいと思いますね。自分の資産を運用するとか。それだけでも変わってくると思います。今後、家庭科の授業で投資信託の授業をやり始めます。 いい悪いは別にして、例えばビットコインやロビンフッドで億り人。ちょっと情報に引っ張られている部分はあると思いますが、身近になったキーワードを入り口にしっかり教育をすれば、かなり変わると思います。

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